「苛立った? クリスさんのフォルテールの音に?」

 クリスとの出会いについての話を終えた後、ファルさんはそう尋ねた。
 あいつの音が、まず気に掛かったらしい。

「理由はわからないんですけどね……今でも」
「何に対して、そう思ったんでしょうか?」
「暗いんですよ、あいつの音は。うじうじして、なにかから逃げているような……」
「クリスさんは、何から逃げているんですか?」
「さあ? 多分、現実からでしょうね」
「……現実」

 彼女は視線を外して、しばらく考え込むように俯く。
 その時、思わず言いたくないことまで言ってしまった。

「あいつは現実を見ていない。だから、あいつにあるのは、幻の雨と、手紙の中だけに
存在する彼女と、偽りの友人だけだ……」
「……どういう意味ですか?」

 口に出してしまってから、しまったと思ったが、遅かった。冗談で済ませるには語り
すぎていたし、なにかの比喩だとごまかそうにも、具体的過ぎた。
 クリスとの出会いから数日後、トルティニタと交わした約束が頭をよぎる。
 しかし頭では理解していても、冷静ではいられなかった。

「なぜ、クリスのことをそこまで気にかけるんです? 他の奴の時にはそこまで聞かな
かったのに」
「なぜって……」

 ファルさんは、微笑んだ。

「アーシノさんが、たくさん話してくれるからですよ。他の方の時よりも」
「それも……そうですね」

 俺は自分のことを、人より優れていると思ったことはない。確かにフォルテールを弾
く才能はあったが、それも才能と呼ぶにはおこがましいものだった。だから、フォルテ
ールの腕前を貶されたところで感情を露わにすることはない。
 でも……クリス・ヴェルティン。あいつだけは特別だった。
 見ていると無性に苛々してくる。話していても、そのフォルテールの音を聞いていても。
 だが、この学院に入って一番言葉を交わしたのもクリスだった。俺が唯一、友人と呼
べる存在でもある。そしてファルさんにも言ったように、あいつが俺の一番の友人だ、
と呼ぶこともためらわれた。

「それでもあなたは、クリスさんの偽りの友人なんですか?」
「……そうですよ」
「なぜ?」
「あいつは異質なんですよ。雨の、幻を見ているくらいですから」
「えっと……それは、どういう意味で、見ていると?」
「どういう意味もなにも……そのままの意味です。あいつに、今日も雨が降って大変で
すね、って聞いてみればわかりますよ」
「……笑われるんじゃありませんか?」
「ええ、多分あいつは笑うと思いますよ」
「……」
「そして、続けて言うでしょうね」

 困ったような笑みを浮かべ、それから空を仰ぐクリスの姿が、鮮明に想像できた。

「いつものことですから」
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